申請代行件数2400件以上のプロがサポート! 障害年金受給支援サイト

HOME > プロフィール

プロフィール

代表者写真

 私が医療に関係する仕事に就くきっかけは両親です。母親は3歳の時に小児麻痺(ポリオ)になりまして、現在でも下半身が不随です。さらにポリオは中高年に差し掛かりますと、大丈夫だった箇所も徐々に動かなくなってきます。私の母も両手を挙げる事が困難になってきております。(これは生き残った神経を酷使してしまうため、その神経が消耗してしまうからです。)
 父は小学校の時に鉄棒から落ちてしまい、膝を怪我したのですが、その時に結核菌が関節に入ってしまい、右足に障害を負ってしまいました。また、その時に受けた手術が原因か、予防接種の集団接種が原因かわかりませんが、B型・C型肝炎になってしまい、現在は肝硬変の末期まで症状が進んでおります。

 そんな家庭環境で育ったのですが、私が大学生の時に、母親が自宅で椅子から落ちてしまい、骨折をしてしまいました。その時入院した病棟の看護師長(当時は婦長)さんから、「ここに就職したら家族さんの医療費は福利厚生でタダになるよ。受けてみない?」と声をかけられ、病院に就職してもいいかなと思うようになりました。しかし、私が通っていいた大学は京都教育大学でしたので、地元の企業からはどうせ教員になるのだろうと思われ、大学に求人表がなかなか送られてきません。
 そんな中、友達が龍谷大学の学生課に忍び込んで、母親の入院していた病院の求人を発見し、一緒に受けないかと誘ってきたのです。その時はすでに航空会社に内定をもらっていたのですが、婦長さんの言葉を思い出し、ちょっと話を聞いてみようという軽い気持ちで参加しました。

 私の1学年上が、第二次ベビーブームのピークであり、バブル崩壊と相まって就職氷河期と言われた時代でした。そのため、数名の採用に千人近い応募があったようです。私は軽い気持ちで受けたのですが、幸か不幸か受かってしまいました。入社してわかった事は、大学新卒の男子枠は1名しかなかったのです。軽い気持ちで面接を受けたため、本音で受け答えをしました。その事が評価され、採用になったようです。杓子定規な答えばかり聞かされていた面接官の印象に残ったようです。
 家族の治療費と自宅から通えるという事だけで就職したのですが、まさかそこでの経験が現在に多いに役立つとは思いませんでした。


 就職して数年がたった時、事務長から呼び止められ、「病院は国家資格の集団だ、いくらお前が国立大学を卒業しているといっても、国家資格を持っている看護婦さんや検査技師さん達の方が病院にとっては大事な人材だ。だからお前も国家資格を取れ。」と言われました。
 そこで何を受験しようかと考えている時に、別の事務長さん(私が就職していた病院グループは病院が9件あり、診療所は10箇所以上、介護施設も30箇所以上ある巨大グループで、従業員は万人単位でした。そのため事務長さんも数人おられました。)から、「これからは高齢化社会だから司法書士になって、施設にいる患者さんの後見人になったらどうだ。」と言われました。しかし、「司法書士になるには、病院に働きながら合格するのは困難です。」と答えたら、銀行から転職されてきた経理の課長さんに、「医療制度も年金も勉強できて、高齢化社会に役立つ社労士はどう?」と勧められました。ちょうどその時、父親が社労士の勉強をしようか悩んでおり、その時まで社労士という資格があるという事すら知らなかった私に、父親の口からと、上司の口から社労士を勧められたので、病院で働く上で役立つだろうなという程度で勉強を始めました。
 幸い、医療保険法や介護保険法、老人保健法は業務で取り扱っておりますし、労災の相談も受けていましたので、社労士の受験科目について、実務で勉強できている状態でスタートできましたので、9ケ月の勉強で受かる事ができました。

 病院では介護保険が始まる前に就職しましたので、介護保険事業開始の準備から、運営方法の構築を行い、落ち着いた時から、医療・介護の知識があるという事で、「介護保険はケアマネージャーが担当するので、お前は介護保険に当てはまらない人の相談をするように」と言われ、難病の方の相談をさせてもらうようになりました。多発性筋炎や、骨髄異形成症候群等の難病から、脊髄損傷等の障害者の方や、障害を持って生まれた子供が初めて家に帰るサポートを、訪問看護さんも巻き込んで行うという事に携わる事ができました。当時子供の訪問看護を行っているのは日本中に私の職場ともう1件しかなく、小児難病に子供達の訪問看護を開始できたのは、私の誇りです。
 そんな病院での経験と、両親が障害者で障害年金を受給しているという境遇から、社労士として開業する前から、その方面の知識を吸収していくことができました。

 そんな折、父親が再度入院し、父親が一人で行っていた保険の代理店(企業向けのコンサルティング)を手伝わざるを得なくなり、ついでに社労士として開業する事になりました。それで障害年金の業務で御飯が食べていけるようになったのは、自分では奇跡だと思っております。しかし、大学時代の恩師からは、「まるでレールが引かれた人生を確実に進んでいるね」と言われますし、有名なスピリチュアルメッセンジャーの美鈴さんからは、「あなたは天職に巡り合えたね。それで日本一になれるから頑張りなさい。」と言われました。
美鈴さんとの出会いも、障害年金をする上で重要な転機となっております。社労士として開業した当時はすぐに仕事が来るわけでもなく、趣味で始めたアフェリエイト収入がサラリーマン時代の収入を大きく超えていまい、障害年金の仕事を1年程さぼっていました。その時にその方と出会い、「これから株で生活していこうと思いますがどうでしょうか?」と聞きこうと思っていたのですが、こちらが何もしゃべらないうちに、第一声で、「楽をして稼ごうと思っていますね。せっかくの素晴らしい知識があり、人のためになる仕事なのだから真剣にやりなさい。今年はゆっくりしてもいいが(年末の12月29日に会いました。)年明けからホームページを作り直しなさい。守護霊さんからのメッセージです。あなたには障害年金で日本一になれる知識があります。」と言われました。なぜ障害年金の事がわかるのか?そもそも社労士ですとも言っていないのになぜわかるんだと衝撃を受けました。その衝撃は今でも忘れられません。

 その出会いから、障害年金で集客するための本格的なホームページを作成し、現在にいたっております。(その時に作成したホームページはこちら)その話を聞きつけた雑誌社の人からか取材をうけ、その方が特集された「ゆほびか 2011年7月号」に私の体験談が掲載されました。たまたま入院中にその雑誌を見たという方が依頼をされてくる事もあり、ご縁とは不思議なものだと実感した次第です。
 そんなこんなで、平成15年の開業以来、ずっと食べていく事ができていますし、成功報酬が1ケ月分と他の社労士さんの半分でも、件数をたくさんこなす事で、何とか継続して営業する事ができております。

経歴

  • 京都教育大学 理学科 卒業
  • 武田病院グループで医療相談員をへて、障害年金専門の社労士として開業

保有資格

  • 社会保険労務士
  • 特定社会保険労務士(紛争解決手続代理業務)
  • 福祉住環境コーディネータ 3級
  • 日商簿記 2級
  • 中学、高等学校理科教員免許
  • 教育コーチング G3